一人でやる即興とイメージの話

 原です。

 僕はピアノを始めたのは遅いのですが、始めてからすぐ、そして今まで続けていることに、「何も決めないで弾く即興」というのがあります。
 全く何も決めずに延々とピアノを弾いていくわけです。時には1時間くらい続けて弾くこともあります。
 こういう遊びは、まったくピアノ的なものと言ってもいいかもしれません。他の楽器では一人でここまでこういうことで楽しむことは出来ないでしょう。
 ある意味での究極の一人上手です。


 もちろんその即興で弾く内容は、自分の音楽的スキルやその時の趣味にしたがって、変化してきたように思います。

 まだ耳が育っていなかった初めの頃は、鍵盤押す前にどのような音が出てくるか、ほとんどわからないまま次々に鍵盤を押していき、気に入ったものを反復したものです。
 
 で、多少指が動くようになってくると、手癖というものが出てきて、慣習的にその音が予測できるようになりました。
 だがまだこの段階では、単にピアノと戯れているにすぎないでしょう。

 もう少しすると、耳が育ってきて、頭に浮んだ音が何の音だか分かり、ある程度即座に鍵盤に移せるようになってきました。ここからが音楽的な即興のようやくの始まりなのでしょう。
 こうなると頭の中のことが勝負になってきます。
 自分が何を思いつけるのか、ということと、弾いている間中ずっと向かい合い続けることになるわけです。
 ある意味、自分自身の音楽を知っていくことになります。

 そのようなところにたどり着いて気付いたのは、「鮮度」のようなものが重要だ、ということ。
 毎日即興をやっていると、気が付いたら果てしなく同じ自分を繰り返し続けていて、それに埋没していってしまいます。
 だから多少ピアノと距離をとったり、少し音楽のことを忘れたりすることで「鮮度」を保つよう、注意するようになっていったのです。


 鮮度が良い時の即興からは、曲が生まれてくることがあります。
 ただ難しいのは、それを期待して即興したりしても、本当に良いものは出てこない、ということです。


 ここ何年かは、脳に聞えてくる音を越える為に、わざと指を無軌道に動かさせてそこからイメージを発展させようとしたりすることが、面白かったりします。
 頭のイメージ、というのは思ったよりも簡単にフィクスしてしまうものです。

 脳のイメージを超えるためのなんらかの仕掛けを自分に持ち込む、論理だろうが偶然性だろうが肉体性だろうが何でもいいのですが、一人ぼっちで作業しなければならない作曲家にとってそういうことは重要なことなんだと思います。

 本当の天才でない限り、個人のイメージなんて、もしかしたら大したことないのかも・・・、と僕はよく思います。いや、それを僕が語る資格はないかな。

 それでは。
 

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