音楽を聴くという行為

 原です。

 僕は、何か音楽を聴こう、という時に、何を聴くか、ということを、非常に厳密に自分の感覚に問うて、慎重に決める。

 また、それは音楽に限らず、例えば、何の本を読むか?でも、何を食べるか?という場合でも、何の映画を見ようか?というのでも、全て同じだ。

 僕は、その時の自分が体の中から欲しているものを、正確に自分に与えたいという気持ちが強い。
 理想で言えば、それプラス自分が求めていなかった全く意外な何かが、ほんの少し享受できればさらにいいのだが・・・。


 普通、大体人は具体的にこれが聴きたいというのが最初からあって音楽を聴く場合が多いかもしれない。
 また半自動的にその時に聴く音楽が決まってしまう場合もあるかもしれない。


 僕の場合は大体いつもそうなのだが、具体的にこれが聴きたい、という感じがあまり起こらない。何故だかはわからない。
 ただ、なんだか分からないが自分が音楽を欲する時があって、その時に自分が欲しい感覚がどういうものなのかが、非常に曖昧で、簡単には分からないのだ。


 だから音楽を聴く時はいつも、まずCD棚の前で、CDのタイトルを一つ一つ見ながら考える。自分が今本当には何を必要としているのか、何を必要としているから音楽を聴きたいと思ったのか、を。
 ただ、いくら考えてもそれは言葉には置き換えられない。全ては、言葉に出来ない感覚的な何かなのだ。

 いつもそういう感じだから、僕は必ず持っているCDを全て見えるように並べている。
 あまり聴かないものを奥にしまったりとか、そういうことは絶対にしない。
 必ず全てが一望できるようにしておく。


 僕は音楽を聴く時間というのを大切にしている。

 人生でどれだけの時間を音楽を聴くのに使えるのか分からない。だから大事にしたい。

 しかしだからといって、とにかく多くの時間、音楽を聴きまくるというのも絶対にしない。

 僕は常に音楽に飢えていたい。音楽で満腹している状態なんて、最悪だ。


 それでは。

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