日本の現代音楽

 原です。

 90年代くらいまでは、日本の現代音楽、というジャンルが、存在していたように思う。

 日本の現代音楽というのが、他の国の現代音楽とは違った、独特な何かだったのだ。
 過去形で書いているのは、今はそれが薄れてきているように思うからだ。つまりヨーロッパやその他の地域の現代音楽と、今の若い世代が書く日本の現代音楽はあまり差がなくなってきた、ということだ。

 僕はこれを否定的に書いているわけではない。かといって肯定的でもない。
 ただそういう風になってきているのは事実だということだ。


 日本の現代音楽が独特な何かを持っていた頃、その頃はその頃で、常に技術的にヨーロッパに劣っているような感覚を、皆が持っていたのではないだろうか。
 その独特な何か、というのが良いサムシングとしてはあまり考えられていなかったようにも思うのだ。

 今の若い世代の日本の現代作曲家は、その多くがヨーロッパに赴き、また情報も昔とは桁違いに多く持っている。
 またヨーロッパの作曲技術の発展が、ある時点で止まった感がある。
 それらの理由で、現在の若い世代は、技術的にヨーロッパから遅れを取っている感じがほとんどしない。

 技術が高まっていることは間違いなく良いことだ。
 現に、若い世代に属する藤倉 大さんや、望月 京さんなどは、ヨーロッパの作曲家と比べ、技術的に全く遜色がないどころか、それをさらに上回っているような印象も受ける。
 彼らはほとんどもう国籍を超えてヨーロッパの作曲家と言ってもいいのかもしれないし、ヨーロッパでもそのうようにして受け入れられているだろう。


 過去の現代音楽を代表する人たち、つまり武満 徹や、湯浅 譲二、もうちょっと若いところだと西村 朗などの音楽を聴くと、その強烈な個性に改めて驚かせられると同時に、その技術の素朴さを感じずにはいられない。
 彼らの技術は、全くもって彼らの作曲の為の独自の技術なのだ。
 いわゆる、運べない技術、だ。一般化ができないような。
 その感じがある意味で非常に日本的とも言えるのだろうが。


 僕は今それら双方の背中を見ながら作曲をしている。
 僕はどちらも素晴しいと思うし、尊敬しているのだ。


 色んなことを考えさせられる。

 でも、最終的には自分が本当にやりたいことをどれだけ突き詰められるかだ。
 そしてその結果自分がどうなるのか、だ。


 それでは。

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