レディオヘッドについて

 レディオヘッドを真剣に聴くようになったのは実は結構後になってのことだったりする。

 私の周りの人達に聞くと、多くの人が、レディオヘッドに関心を持って聴いたのはOKコンピューターまでだと言う。というかそこまでがギリギリOKという感じだと。
 つまりオルタナロックとしてのバンドの頃までなのだ。


 私は90年のその多くを、クラシック、現代音楽、そして幾つかのジャズを聴き、学び、作るのに費やしたため、その当時興ったロックの流れやクラブミュージックの隆盛に一部を除いてかなり疎かった。
 自分でもこのことを少し残念にも思うが、仕方なかった面もあった。
 自分にとって未知だったクラシックや現代音楽、長く深いそれらの西洋音楽の歴史にコミットしようと考えること自体、とても片手間でできるようなものではなかったのだ。

 だから私は、その名前や大体どんな音楽かくらいは耳には入ってはいたが、90年代に生まれてきた、ニルヴァーナ、オアシス、レディオヘッド、レニー・クラヴィッツ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、スマッシング・パンプキンズなどのロックバンド、テクノやハウス、ヒップホップなどのクラブミュージック、さらにアシッドジャズやR&Bなどについて、あまり詳細には認識していなかった。
 何よりも、その頃の私にとっては強い興味の対象でもなかったのだ。私はむしろリゲティやブーレーズ、クセナキス、はたまたマイルス・デイヴィスが50~70年代にやっていたことを全身に浴びていて、それどころではなかった。


 時が過ぎ、私は2000年代になってからそれらを改めて聴き直す作業に入った。
 その中で自分が最も強く反応したのはニルヴァーナだった。周りからは何を今更とめちゃくちゃに言われた。そりゃそうだろう。

 レディオヘッドはOK Computerを聴いた。最大の名盤だと言われていたからだ。
 その時はそれほど何も感じなかった。ニルヴァーナのような切れ味というか価値の転換みたいなものは感じられず、その時の私は愚かにも、ちょっと凝ったカッコつけたUKロック、くらいにしか思わなかったのだ。
 まだまだその頃の私はロックに対してマッチョイズムを重視していたのだと思う。少年の頃聴いたメタリカやガンズアンドローゼスなどの名残が自分の中に気づかないまでもあったのだろう。
 何の思い入れもなくニルヴァーナと同時に聴くと、当時の私にとっては明らかな差があったのだ。


 そこから5年くらいして、元バンドメンバーの山野直人とちょっと新しい何かをやりたいとかそういう話になった時に、そういえばこれ好きなんだよ、こんなのどう?と言って聴かされたのが、KID Aの1曲目のEverything in its right placeだった。

 ちょうどもうマッチョなロックに対してリアリズムを感じにくくなってきていて、また生演奏そのものにもやや飽き始めていたころだった、のもあったのかもしれない。
 また改めて現代音楽やジャスが好きな自分として自然だったのかもしれない。
 この曲には本当に夢中になった。
 元々どこか呪術的な魅力のようなものがある曲だが、非常繰り返し聴くようになった。
 こんな歳になり、またそれなりに音楽のキャリアも増してきている中で、こんな中学生みたいに同じものを繰り返し聴くのも珍しいことだった。

 ここで知らない人のために、簡単にレディオヘッドのアルバムを年順に書き記しておく。
・1993 1st Pablo Honey
・1995 2nd The Bends
・1997  3rd OK Computer
・2000 4th Kid A
・2001 5th Amnesiac
・2003 6th Hail to the Thief
・2007 7th In Rainbows
・2011 8th The King Of Limbs
・2016 9th A Moon Shaped Pool

 KID Aを聴き込み、そこからどちらかというとそれに近いAmnesiacなどから始め、結局全部聴き込むことになった。
 その結果でいうと初期の2枚は最も聴かないアルバムになっている。
 最初に書いた私の友人達とはたぶん真逆になっている。
 私は先述のように、90年代にオルタナが息吹を上げ、それが花を開いていった頃、またCleepを携えそのシーンの急先鋒としてレディオヘッドが華々しくデビューしてみんなに衝撃を与えた頃、を知らない、というか認知していない。
 それは多分私の友人たちとの非常に大きな違いなのは確かだ。
 それらのの人にとってKID Aでレディオヘッドがやったことは受け入れ難かったろう。おそらくそれほどオルタナロックバンドとしてのレディオヘッドは素晴らしかったのだ。
 しかし私みたいな特殊な経緯でレディオヘッドを聴き始めた人間には、KID Aがなければ彼らにのめり込むことはなかったのだ。
 私は90年代を体感できなかったこと自体は非常に残念にも思っているが、結果として私はそのようにして人と少し違う形でレディオヘッドに触れることが可能だったというのは唯一の幸運な面でもあるかもしれない。

 それほどまでにKID Aは良い意味でも悪い意味でも衝撃的なアルバムである。それはレディオヘッドのリスナーにとってだけでなく、全てのリスナーにとってそうであるだろう。
 私が知っている限り、このアルバムに似たものが見当たらない。それほど独特な何かに貫かれたアルバムである。
 このアルバムは非常に暗く沈鬱なアルバムである。全編を通して開放感が極端なほどない。
 多分このアルバムで最もポップな曲が前述のEverything in its right placeとIdiotequeなのだろうが、それはかなり異常だ。
 そもそも曲にOK Computerでのようなある種の流麗さのようなものがない。

 OK Computerはやはり傑作であり、当然今の私は大好きだし、それまでのオルタナロックバンドとしてのレディオヘッドの集大成なのだろう。
 音響や流れははスムーズでありながら、ドラマティックでもあり、アレンジにも演奏にも洗練の極みがある。何よりその全てが美しい。

 KID Aではそれらの全てとは言わないが、かなり多くを捨ててしまった。音楽も流麗さが薄れ、反復的となり、暗く沈み込む。
 しかしそれによって信じ難いような寒々しい表現が生まれ、言わばロックというかポップミュージックの世界全体においても極北のアルバムとして存在することになった。



 話は少し逸れるが、彼らのおいてたぶん重要なのは、音楽的な能力は当然だが、とにかくメンバーのインテリジェンスなのだと思う。
 それはもちろん彼らが寄宿学校のいいとこの出のインテリ、ということだけの話ではない。

 同じことをやらない、自分達が面白いことをやりたい、面白いことをやるために他の音楽などに取り組み自分の楽器や作曲を深める、ことによったら面白いことをやるために自分の楽器を弾かなくてもいい、積極的に自分の担当の楽器以外に広がっていこうとする、課外活動で例えば現代音楽の作曲をする、その影響を自然に反映させるフォーマットを目指す、常にエレクトロニクスの実験的な音楽に目を配り動向を追う、ソロアルバムではそれらのミュージシャンとコラボレーションして様々な実験をする、そしてそれをバンドに返す……等。

 インテリジェンスがなければ、こういうことをやらないし、出来ない。
 また、インテリジェンスがあれば多少の苦しさこそあれこういうのは楽しいはずだし、実際に楽しんでもいるだろう。

 またバンドが上手くいかないのは、稀に純粋な音楽的な方向性の違いというケースや音楽以外の外的なトラブルなどのケースもあるが、ほとんどの場合、メンバーのエゴか人間的な未成熟さに由来している。
 そんな中でインテリジェンスはそれを大きく助ける可能性がある。実際このバンドは多分そんな気がする。

 繰り返しになるが、とにかくこのバンドの素晴らしさはメンバーがそれぞれクリエイティヴであることを楽しめている点にもある。


 その後のAmnesiacにはKID Aの方向性が受け継がれ、もはや何をやっても良いバンドでありながら、最もアルバムを作るのが難しいバンドにもなった。

 AmnesiacにはPyramid Songのような、ある意味でKID A以降の音楽の洗練の極地、とも言える曲がある(ただこのアルバムそのものはKID Aと同時期に作られているという話だが)。
 極めて聴取の難しいリズムで浮遊し続ける美しい曲。

 In RainbowにはWeird Fishというミニマリスティックな、美しいアルペジオに彩られた曲がある。バンドサウンドとしては洗練の極みのような、選び抜かれたサウンドで、ずっとここに浸っていたいような気分になる。
 このアルバムはKID A以前と以降とを総合し成熟させたようなある種の到達があるように感じる。
 どこかしら自由のようなものが感じられ、最も曲を作るのが難しいバンドなりにも、何か創作を楽しめているような空気がある。


 少し彼らの曲全般について書くが、彼らの曲の最も素晴らしい部分の一つに、その大きな時間の流れがある。
 彼らの音楽というのは割と反復的ではあるが、それが変化を伴うに従い、緩やかな大きな時間のうねりを作り出す。
 この感覚はそもそもアメリカのロックには少ない傾向であり、イギリスのいくつかの音楽的なロックバンドに見られるものだった。代表的なところで言えばレッド・ツェッペリンやピンク・フロイドなどだ。
 オルタナ期だけでない彼らのすべての時期を考慮すると、個人的にはこの二つのバンドは、彼らが影響を受けたかどうかは別にして、結構近い所が多いように感じられるバンドだ。
 とにかくこのような大きな時間的うねりを表現できるバンドは、それほどない。無論商業的な理由にもそれはよっているし、単純に音楽的な力の問題でもある。
 先述の曲、例えばEverything in its right place、OK Computerの2曲目であり最高傑作の曲ともよく言われるParanoid Android、Amnesiacの2曲目Pyramid Song、In RainbowのWeird Fish、 A Moon Shaped PoolのDaydreamingなどまだまだいくらでもあるが、これらはその音楽的な時間の点において真に特別で、他でこの感じを味わうことはかなり困難だ。

 また彼らは独特の和声の様式も持っている。
 どこかしらフォーレのようと言えばいいのか、まあちょっと違うか、そんな和声がよく使われる。
 調性音楽はポップミュージックとして、このように生き永らえられる可能性がある、ということを勇気づけられるような何かでもある。
 具体的には彼らはマイナーコードの使い方に、彼らは少しだけだが新しいものをもたらしたのではないかなとも思っている。まあそれは最近の映画音楽などではそれなりに使われるやり方でもあるが。

 最後にはその卓抜したアレンジメントだ。
 これはもう完全に脱帽という感じの分野でもある。楽器の使い方が上手く、また演奏能力の高さを当てにしている面も多いのだが、とにかく当たり前の音響にならない工夫を凝らしていない曲は殆どない。
 中期以降のビートルズ並みにすべての曲に対して固有の音響を与えようと試みがあり、そしてその大部分が成功している。
 またそれとつながってミックスダウンの素晴らしさも特筆したい。
 個人的にレディオヘッドの曲のミックスダウンの仕上がりは、常に私の模範である。
 スピーカーでもヘッドフォンでもいいが、例えばWeird Fishを少しいい再生装置で聴いてほしい。音を聴いているだけでずっとそこにいたいと感じてしまうくらい、一つ一つの音が素晴らしく美しく、適度に生々しい。しかもただ綺麗なだけのミックスでもない。
 かなりドライなドラムとギター、ベースの空間の中にリヴァーブがたっぷり乗ったヴォーカルが入って来たとき、その声質と相まって脳が溶けそうになる。巧みであり、強いイメージと狙いを持ったミックスだ。
 本当に重要なのは、彼らのミックスは、本当に音楽そのものである、ということだ。
 作曲とミックスが本当に一体となっており、組み合っている。
 ここも後期のビートルズと共通点がある。


 なんとなく今回の文はあまりうまくまとまらなかった気がして残念だが、しかしこう書いてきてみると、私がこのバンドを好きになるのはなるべくしてだったと言わざるを得ないとも感じる。
 現代音楽や実験的な音楽に常に関心を持ってきた私にとって、これほど親和性の高いポップミュージックはないのかもしれない。


 このバンドはよく、ロックの最後の砦、とか、荒野に咲く一輪の花、などと表現されるが、私はその中でも、現代の最大の良心、という表現が好きかもしれない。
 というか過去から現代を見回してもこれほどの良心はなかったのかもしれないのだから。

 それを今後リアルタイムで聴いていけることで、過去にレディオヘッド含む90年代の様々なムーヴメントを聴けなかったことの埋め合わせを出来るだろうか。

原 文雄






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